<備忘録>母との最後の会話〜石原裕次郎を聴かせた日〜

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2019年12月10日。


あの日、母の病室が変わった。

それまでずっと4人部屋だったのに。



東北大会が終わって、2日。

筋肉痛もそこそこある。

負けた悔しさはあるけれど、

母のそばにいると、

「健康あってこそのアイスホッケーだよね」と

心の底から思った。



父に教えてもらった新しい部屋番号を覗くと、

母がポツン。

4人部屋なのに、

一人しかいなかった。


「えー、個室じゃん」


ベッドの上で、

そうなのよ、という顔で小さく頷く母。

外はもう暗く、灯りが見える。


「せっかくだからさ、何か聞く?」


今までの部屋にもテレビはあったが、

見るときはイヤホンをしなければならない。

横になっている時間が長い母。

つけているのが嫌だったのだろうか。

いつの間にかテレビも見ない生活になってしまった。




母が好きだったのは、

チェッカーズ、坂本九、美空ひばり・・・・

あとなんだっけなあとyoutubeを検索する。



「ああ、ゆうちゃん。石原裕次郎か」



母が好きだった石原裕次郎。

亡くなった時、

「どうしてゆうちゃんが死ぬの?」と

テレビの前で涙を流して悲しんでいた。



出てきたのは、

「夜霧よ今夜も有難う」。



曲名だけしか私は知らなかったが、そんなことはどうでもいい。

母が喜ぶ顔を見たかった。

ただそれだけだ。



廊下には聞こえないように、

音量を調節して、耳のそばにスマホを置いた。



「聞こえる?」



病室には他に誰もいない。

私が帰ったら、

母はこんな寂しいところで一人でいるのか・・・・


そう思うと胸が苦しくなったが、

これから中学の時の担任と同級生との約束があった。



「時間までは、いるから」

確かそんなことを、言い訳がましく言った気がする。


youtubeが次にかけてくれたのは、

「我が人生に悔いはなし」



あ、、、

ちょっと、困った。

この状況で、

この部屋で聞くにはあまりにも当てはまりすぎる。



「人生に悔いはないよ」と思ってくれていたとしても、

まだ、まだ、

もうちょっと、このままでいてほしい。



曲を飛ばすわけにもいかず、

そのままかけた。




元から痩せていたが、

入院してから母はますます痩せた。

手も足も、マッサージをすると骨と皮しかない。

「でも、これがお母さんだよなあ」と思いながらさすった。




曲が変わる。

「北の旅人」だ。



なんなんだ、この、流れは。



今夜もありがとう。

人生に悔いはなし。

旅人。




4人部屋に、母が一人。




そういうことか。


たまたまだったとしても。

偶然だったとしても。





「もういいよ、ありがとう」


小さな声で、母が言った。



「飲み会は、何時から?」

「7時くらいかな」



いいなあという言葉が出てきそうな顔。



ふっ。かわいいなあ。

ビール好きだったもんね。

飲みたいよね。。。





何だろう、この愛しさ。


この時湧き上がったあの感情を、

言い表せる語彙力が欲しい。



「はいはい」

自分の娘のほっぺにチューする感じで、

思わず母の頬にキスしてしまった。



どんな反応をするかと思ったら、

どうやら拒否はされなかったらしい笑。


目を丸くさせて、

「もっと」

と言わんばかりの顔をしている。



あぶないあぶない。

思わず唇にキスしてしまいそうになる。



「あはは。行ってくるわ」


「行ってらっしゃい。楽しんでおいで」



か細い声ながら、

母はそう送り出してくれた。



「うん、また明日ね」




また明日も、こうして話そう。

明日はチェッカーズを聞かせよう。



振り返ると、ベッドの上からこちらを見ている母。

小さく手を振って、

いつものように、言った。



「またね」







次の日の早朝、電話が鳴った。

父からだった。




「病院から連絡があった。今から行く。病室でな」



心のどこかで、

こうなることを予感していたのかもしれない。


バタバタと着替えて車に乗ると、


朝焼けの空が広がっていた。











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