アイスホッケー人生の始まり「私もやるから、一緒にやろう」〜長根Cリンクで言われた日〜

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「私もやるから、一緒にやろう」

アイスホッケー人生の始まりは、

この一言がきっかけでした。

 

今から30年以上前。

場所は今もアイスホッケー関係者に愛されている

青森県八戸市の長根Cリンクでした。

(Aリンク・Bリンクもあったのですが、今ではCリンクのみ)

 

私には3つ上の兄がいます。

3年生くらいの時、

仲の良い友達がアイスホッケーをしていて誘われたそうです。

兄は「やりたい」と言ったのですが、

両親(特に母親)は反対していました。

(その頃のことはデーリー東北のコラムにて)

 

ようやく許可を得たのは

兄が5年生の頃。

2年生だった私は、

兄や両親と一緒に練習についていくようになりました。

 

八戸はスケートの街だったこともあり、

スケートには連れて行ってもらっていました。

でも、靴はフィギュアスケートのもの。

今思えばレンタルではなかったので、

誰からか譲っていただいたのか買ったのか…。

白いフィギュアスケートで長根リンクで滑っている証拠写真もありますし、

今はスーパーになっている「GODOアイスパレス」にも滑りに行っていました。

 

当時は女の子がアイスホッケーをするのが珍しく、

そのジュニアチームには男の子だけ。

練習している間は母と一緒に眺めていたり、

外で遊んだり・・・している記憶はほとんどないのですが、

多分そんな感じだったと思います。

 

今は亡き母が、

「いろんな人から誘われてはいたよ。

『あゆみちゃん、アイスホッケーやろうよ。

防具もあるし。

見ているだけじゃつまらないでしょ?』と」

そう言っていたので、きっと「その気になった」のでしょう。

 

練習についていくだけの日が続いたある日、

女の子がスケートを履いて、

フェンスにつかまりながら滑っている姿がありました。

その子は私と同い年。

私と同じように、

お兄さんがいるからついてきていた子でした。

 

「あ、女の子が滑ってる」

その子が滑っている姿は今でも覚えています。

気になって私から話しかけたのか、

その子から話しかけられたのか。

 

「私もやるから一緒にやろう」

 

「その気に」なっていた私の背中を、

ポンっと押された瞬間でした。

 

始まりは、すべての続きに過ぎない

「世界の中心で愛を叫ぶ」より

 

次の練習から、私は兄と一緒に氷上にいました。

 

初めての防具。

初めてのスティック。

 

初めての練習の記憶は残念ながらありませんが、

2年生の3学期、

私のアイスホッケー人生は長根Cリンクから始まった。

そのことだけは今も覚えています。

 

 

始めたきっかけは、なんですか?

 

 

 

フィギュアスケートを履いていた余談として、

これも母から聞いた話なので備忘録として残します。

「いつだったか、フィギュアの先生に声かけられて言われたよ。

いつも滑りに来てるから、

次来たらフィギュア教室にと声をかけようと思っていたの。

でも、次来た時はもうアイスホッケーの靴だった。

タイミングを逃しちゃったのよね、と」

 

GODOアイスパレスで、

一般滑走で滑っている私のことを、

ちゃんと見てくれてる人がいた。

指導者を経験した今となっては、

それも大切なことだなと思うのです。

 

 

「聞いてみたいことはありますか?」の回でゆるく募集したところ、

Facebookでコメントをいただきました。

それを励みに、

アイスホッケーのこともこうしてちょっとずつ

書いて残していこうと思います。

時系列ではなく、

書きたいエピソードからになるかと思いますが、

お付き合いいただけたら嬉しいです。

 

これも終活の一環として。

 

今日も最後までお読みいただき、

ありがとうございます。

 

Bon Voyage!

 

 

 

 

 

 

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