東日本大震災から6年。マ・シェリ八戸版へ”ありがとう”~「育児徒然草」について~

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こんにちは。

今日は久しぶりに「電話」を使った日でした。

普段はもっぱらラインやメッセンジャーなどを使用しているので、

こちらから電話をかける用事といえば児童館くらい?

それも今日は「仕事」としてかけたので、

相変わらず緊張して言葉につっかかってしまいました苦笑

思い出の「Ma・cherie Hachinohe」(マ・シェリ八戸版)

電話をかけた先は盛岡を中心に発行されている生活情報誌「マ・シェリ」

私は以前「マ・シェリ」の八戸版で連載を担当させてもらっていて、

当時の記事をこのブログに載せてもよいかどうか、許可をいただくために連絡をしました。

書いていたのは2009年10月9日の創刊号から、

2011年3月11日の第71号まで、全部で35回分ありました。

3月11日・・・

そう、あの3月11日。東日本大震災があった日です。

今日改めて見て、「ああ、発行日はこの日だったのか・・・」と思い出しました。

震災の影響でマ・シェリは八戸から撤退せざるを得ない状況になり、

連載も途中でストップしてしまいました。

でも、自分で言うのもなんですが、今読み返しても

「子育てをしているママさんたちにもなにか参考になることがあるかもしれない」

と思い、このブログで載せたいなと思いました。

(あとは自分と娘の記念にするためです♪)

「八戸にはライターがいない」

どういった経緯で声がかかったのかまでは覚えていませんが、

当時の編集長さんに言われた言葉がずっと引っかかっていました。

「八戸にはライターさんがいなくて」

今は私の知り合いにも八戸在住のライターさんがいますし、

八戸でライター活動を専門にしている方もいらっしゃいますので

「八戸にはライターがいない」ということはないはずです。

でも、10年前はどうだったかなと思うと、

もしかしたらそうだったのかもしれません。

その言葉を覚えていたから、今もこうして「書くこと」、

イコール「ライター」としてやっていこうと思っているのかもしれないな、と

忘れていたことを思い出しました。

「育児徒然草」

書いていた連載は「育児徒然草」といいます。

長女の誕生から子育て、そして次女の誕生と、

今思えば懐かしい日々が綴られています。

当時0歳と1歳だった娘たちは今、6歳(小1)と7歳(小2)になりました!!

あっという間です、ほんとに

「ご本人が書いたものでもありますし、マ・シェリで掲載ということを書いていただければOKです」

当時大変お世話になった編集長さんはすでに退職されていて、フリーライターや企画などでご活躍とのこと。

電話で対応していただいた方もとても丁寧でした。

今私がライターとしてやっていこうとしていること、

転勤があるかもしれないことを伝えたら、

「これも何かのご縁なので、盛岡にもし来られる際は連絡してくださいね」とのお言葉も。

ありがとうございます!!

もちろん、よろしくお願いいたします。

わたし、盛岡生まれなんです!!笑

ありがとうマ・シェリさん。

ありがとう盛岡!!

というわけで、少しずつこちらにも書いていきます。

こんな感じでした↑

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きょうのしつもん。

あなたがいま、「ありがとう」を伝えたいひとは、だれですか?

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