私見創見「元日本代表の歩み」【デーリー東北2018年3月15日掲載】

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元日本代表の歩み
~後進の大きな道しるべ~

「ちょっと~!中居くんの隣って!」
某テレビ局の平昌五輪報道番組でMCを務めた元スマップの中居正広さん。その隣で女子アイスホッケーについて語る女性に向かって私は思わず(うらやましくて)叫んでしまった。

彼女の名前は平野由佳さん。長く女子アイスホッケー界をけん引してきた一人で、ソチ五輪代表。いわば初代スマイルジャパンの一人だが、昨年6月に所属していたチームのホームページで引退を発表していた。

彼女が代表候補として合宿に呼ばれるようになったのは中学生の頃。小柄ながら外国選手に負けないスピードとテクニックを持ち、代表主将を務めた時期もある。結果的に引退試合となった昨年3月の全日本選手権(A)決勝で、延長戦残り1秒の劇的ゴールを決めた大澤ちほ選手(道路建設ペリグリン)に絶妙なノールックパスを出したのが平野さんだった。

私より年下の選手の引退はいつだって寂しい。でも、こうしてテレビで解説の仕事を引き受けていることはとても嬉しい。引退後のセカンドキャリアの一例として、後輩たちの道をつくっている気がするからだ。

平野さんの他にも、ソチ五輪後にカナダでプレーし、現在は指導者としての道を歩む青木香奈枝さんや、ドイツやスイスでプレー経験のある元日本代表・高嶌遥さんが解説として活躍した。

大会中、彼女たちにメッセージを送ると「今のスマイルジャパンのみんなが頑張っているからこそのお仕事ですし、先輩方のおかげでもあります」という感謝の言葉に胸がこみ上げた。

彼女たちは今のメンバーのことはもちろん、「先輩方」の苦労も知っている。五輪に出られなかった期間のことも、脚光を浴びることなくアイスホッケーから離れてしまった選手たちのことも。

現地で観戦した予選リーグのスイス戦については試合ごとのコラムに書かせていただいたが、「行って良かった」の一言に尽きる。

時差がなく試合後は原稿の〆切時間が迫っていたため、選手には会わずにホテルへ直行。その代わりリンクでは選手のご家族や応援団、元チームメイトや他競技の関係者の方々とお会いすることができた。体の芯まで響く歓声やどよめき。どこの国かわからなくてもテレビカメラを見つけては笑顔で手を振り、「フォト(写真)、OK?」と会場のあちこちで広がるちょっとした国際交流。自分の肌で、耳で、目で、心で感じることができ、選手のときとはまた違った楽しさを実感した。

男子カーリングの解説をしていた敦賀信人さんとの再会も思い出の一つ。同い年で、同じ長野五輪代表だが、「また選手として五輪で会おう」という20歳の約束は果たせなかった。世界の舞台に立ち続けることは決して甘くない。だからこそお互い、今の選手たちに敬意を払い、これからの未来を想う。競技の枠を越えて、今後も情報交換していこうと話し合った。

帰国して平昌五輪も終わりに近づいた頃、私は選手として全日本選手権(B)に出場するため愛知県名古屋市にいた。五輪とはスピードも環境も全く違う。初戦敗退のチーム同士が行う交流戦の試合会場で偶然見つけたのは、2大会連続出場を逃す結果となったソルトレイクシティ五輪最終予選のチームメイトだった先輩の姿。

「声を掛けてもらったチームで復帰したら予選突破してね。会社にも内緒で来たんだよ」と笑いながら人差し指を口に当てた。

「ほんと良かったね、スマイルジャパン。私たちの役目、ようやく終わったかな」

代表ユニホームを脱いだあとに続く人生。どの道も、自分が選んだ道なら後悔しない。たとえレベルは違っても、観客がいなくても、あの頃と変わらずゴールを決めて仲間と喜ぶ先輩の姿を、私はずっと忘れないと思う。

3月15日付 デーリー東北朝刊「私見創見」

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