【女子アイスホッケー】デーリー東北・私見創見「五輪とは」

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デーリー東北 2016年(平成28年)2月4日(木)朝刊紙面 コラム「私見創見」より

五輪とは

自身と競技の将来を左右する

五戸町出身の手倉森誠監督率いるサッカー男子U―23(23歳以下)日本代表が、アジア制覇という最高の形でリオ五輪出場を決めた。五輪出場を決めた準決勝の時も、決勝戦で逆転ゴールが決まった瞬間も、思わず両手を突き上げて喜んだ。

これだけ嬉しいと感じるのは、スポーツが好きだという気持ちと、そして何より自分自身の経験から来るものだ。私は1998年の長野五輪女子アイスホッケー代表という経歴を持つが、同時に、「五輪に行けなかった時の日本代表主将」でもある。五輪に出るということがどれだけ人生を左右するか、そして、五輪に出られないということがどれだけそのスポーツ界の将来を左右するか、身をもって知っている。

今から15年前のソルトレークシティー五輪最終予選で、女子日本代表は敗退。以来、2年前のソチ五輪出場まで、日の目を見ることはなかった。98年の長野五輪は「開催国枠」での出場で、男女ともに予選が免除されていた。この大会から正式種目となった女子アイスホッケー。当時の出場国はアメリカ、カナダ、フィンランド、スウェーデン、中国、日本の計6カ国。結果は5戦全敗。最下位で大会を終えた。

新聞やテレビで報道されたのはここまでだったかもしれないが、私たち日本代表は6カ国中6位。そう、記録的には「6位入賞」となってしまったことをご存じだろうか。全敗なのに。1勝もしていないのに。何が起きたかというと、皇居へ呼ばれたり、総理主催の「桜を見る会」の招待状が届いたり、そこはまさに華やかな別世界。周りには、メダリストや実力で入賞を勝ち取ったそうそうたる選手がいる。メディアの取材はその選手に集中するので、それを遠巻きに見ながら、心の底から気まずい〝場違い感〟を味わっていた。

五輪は「またこの舞台に戻ってきたい」と思う最高の舞台だ。長野の時、大観衆の中でプレーできる喜びを知ってしまい、あの時に感じた違和感を払拭すべく、当然のようにソルトレークシティー五輪を目指した。

しかし、どのスポーツもそうだが、五輪予選の戦いはそう甘くない。最終予選のグループ分けで、カザフスタン、ドイツ、スイス、日本の4カ国で戦うことになったが、出場を勝ち取れるのは1カ国だけ。得失点差で敗れ、2大会連続出場はかなわなかった。

厳しい五輪予選を勝ち抜き、4大会ぶりにソチ五輪に出場した女子代表は、実力で世界の舞台に戻ってきた。「スマイルジャパン」という愛称までつけていただき、メディアへ出演する機会も増えた。ソチ五輪後、多くの代表選手は海外へ挑戦し、世界との差は確実に縮まりつつある。

だが、五輪に出場する喜びも、連続出場できない悔しさも味わった数少ない〝生き残り〟である私は、次の2018年韓国・平昌五輪が心配でならない。ソチを経験した代表選手たちが「次はメダルを目指す」と力強く言い続けているのが頼もしい限りだが、またあの厳しい予選が待っている。その壁を乗り越え、今の現役選手たちはもちろん、次に続くジュニア選手の夢がかなうことを願うばかりだ。

女子の予選より先に、2月11日から14日まで、札幌を舞台に男子の2次予選が始まる。東北フリーブレイズからはキャプテンの田中豪選手や海外挑戦中の平野裕志朗選手ら6名が代表候補選手に選ばれている。選手を送り出した若林クリス監督は、長野五輪で男女両代表の通訳や男子のチームコーディネーターを務め、一緒に五輪の舞台を経験した先輩でもある。どうか2次予選を勝ち抜き、最終予選へ進めますように。五輪予選という厳しい戦いに挑む選手に声援を心からお願いしたい。

女子アイスホッケー元日本代表 鈴木あゆみ


1977年盛岡市生まれ、八戸市育ち。八戸レッズ女子アイスホッケークラブなどで活躍し、98年長野五輪に本代表として出場した。旧姓佐藤。仙台市在住。

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<デーリー東北紙面より>

【お詫び】
第1回目にもかかわらず、後日訂正が入ります。ソルトレイクシティ五輪で最終予選から出場したのは2カ国です。(カザフスタンとドイツ)このことについても後のコラムで述べています。申し訳ございませんでした。

2015年12月の年末に突然依頼があり、2016年からコラム「私見創見」(しけんそうけん)の執筆が始まりました。この大型コラム、他の執筆者の方々は大学教授や◎◎所長、◎◎士といった肩書きのある方ばかり。一応「元日本代表」という肩書きはあるものの、今はいち主婦の私が引き受けてもいいものかと一瞬悩みましたが、これも何かのご縁と思い快諾しました。

2003年に青森で行われた冬季アジア大会で「観戦記」を書かせていただいたことがあり、大会期間中毎日違う競技を見て書くといった連載を担当しました。字数はこれより少ないものでしたが、当時の記者の方や上層部の方が「いい文章書くね」と覚えていてくださり、「また書いてほしい」と私のことを思い出してくださったそうです。本当にありがとうございます。

1回1500字相当。通信大学のレポートを思い出してしまう量ですが、毎回試合より緊張しながら書いています。ネットでも見れるようにこれまで掲載されたコラムをこのブログで発表していきたいと思います。
(二次利用申請許可済み。2017年5月18日)

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