正しいかどうかより「心地良いかどうか」を大切にしたい〜朝の満員バスで思ったこと〜

スポンサーリンク

仙台に来て7年。

普段は車移動ですが、自宅がバス停や駅の近くということもあり、

特に急ぎでないときは公共の交通機関を使っています。

 

先日、朝の通勤時間にバスを利用したときのことです。

眠いなあ・・・と思いながら乗っていると、

ある日本語が耳に入ってきました。

 

「おあとございませんか」

 

バス停で止まるたび、

他に降りる人はいないか、

また、

バス停に立っている人で乗る人はいないかを運転手さんが確認していたのです。

 

「おあとございませんか」

 

「バスでは初めて聞く言葉だなあ」と思い、

止まるたびになぜか聞き入ってしまいました。

 

こうしてたまにバスを利用するのですが、

運転手さんによって話し方も使う言葉も違います。

 

ハキハキ話す方、

「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権で真似されそうだな」(わかります?)という方、

昭和の八百屋さんや魚屋さんみたいだなという方など、

十人十色で面白いなと思っていました。

 

この「おあと」が敬語として正しいかどうかは

判断しかねます。(難しいなあ、日本語って)

バイトでの接客用語として使われているけれど、

「誤用です」という意見も。

落語で使う「おあとがよろしいようで」という言葉もありますし、

うーん、どうなんだろう?と悩んでしまうところです。

 

ただ、その日の私が思ったことは、

使い方どうこうはいったん置いておいて、

なんだかとても温かく感じた、ということです。

 

「おあとございませんか」以外にも、

「止まります」の言い方が丁寧だったり、

降りる方一人ひとりに

「ありがとうございます」と声をかけていたり。

 

運転手さんの優しさや仕事への取り組み方がひしひし感じられて、

不快に思うことは全くありませんでした。

 

他者への感謝、誰かのためにという気持ちは、

持っている以上の力をその人に発揮させる

西田文郎(翻訳者)

 

朝の出勤時でバスの中はほぼ満員でしたが、

流れている空気はどこか穏やかで優しい。

 

そんな時間と空間を作り出していた、

運転手さんの言葉に拍手を贈りたいと思います。

 

 

思い出に残る言葉はありますか?

 

 

ちなみにそのバスの運転手さんも「鈴木」さんでした。

鈴木さん、ありがとうございました!

 

 

 

 

 

広告

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする